行商美術にて
「ブリキまねき猫」「うさぎ男爵」「バロン将軍」
ハプニングは突如生じる。あるがままに新鮮な感動をもってそれを受け入れるには、子供のような純粋さと傷つくことへの身構えを超越したところにある無防備さがものを言う。自らをポップ・ハプニングとして世界に投じる秋山さんはまさにそんな人なのだろうと思う。ラジオからテレビへとメディアが遷る高度経済成長期に過ごした彼の多感な少年時代は、そのピュアな心に降りかかる驚きの連続をもって彩られていたに違いない。そして同時にやがて崩壊するバブルを見越していたかのように、それらの擁する空虚さをも確かに感じとっていたのだろう。だから世界のあらゆる現象、言うならば政治という一見最もアートから遠い場所にあるものまでが、秋山さんにとっては「泡沫芸術」に他ならないのだった。著書『泡沫桀人列伝―知られざる超前衛』のあとがきで「人間を『泡沫』扱いすることに抵抗を感じながらも」と語りつつ、そこにはとてつもなく深い人間への愛を感じ取ることができる。この著書に取り上げられた泡沫的芸術家たちへのやさしく丁寧なまなざしも、その裏付けの一環としてここにある。
秋山さんとは「行商美術」を通じて初めてお会いした。その最初の日程は宇佐神宮に作品を奉納する「藝術奉納隊」へのお供だったのだが、ご一緒させていただいたおよそまる二日間、秋山さんは一瞬たりとも疲れた表情を見せなかった。駅で宇佐の人たちに待ち伏せされそのまま強制的に怒濤のもてなしへと連れ去られて以来ほとんどノンストップで全自動洗濯機にでも放り込まれたようなスケジュールをこなすことになるのだが、その間、行く先々で出逢うものにいちいち感嘆し、地元の人たちが気づかなかった新たなる発見をし、ひとつひとつをちゃんと受け止めていたように見える。宴会の最中もとにかくじっとしていない人で、ハイトーンボイスのマシンガントークでもって絶えず周囲を爆笑の渦に突き落とした。そればかりか脆弱な(あの人たちに比べたら本当に脆弱な)わたしたちがちょっと外の空気を吸いに表へ出ると、目敏く見つけて追いかけてきては気遣うように、そしてさらに爆笑へと引きずり戻すように、限りない愛情を注いで下さったのである。
短期間ではあるがみっちりとお供をして感じたのは、「泡沫であること」を絶望でも諦観でもなくただ受容した人の謙虚さと、ポップ・ハプニングでありつづけることは世界への愛に他ならないのだということだった。実際秋山さんと過ごした二日間はとても幸せな気持ちで眠りに就けたのである。
■秋山祐徳太子(あきやま・ゆうとくたいし)
1935年生まれ、東京都出身。 60年武蔵野美術学校(現大学)彫刻科卒業。65年岐阜アンデパンダン・フェスティバルに自分自身を出品。大手電機メーカーにて工業デザイン担当。その間ポップ・ハプニング(通俗行動)と称し、ハプニング活動を行う。73年初個展「虚ろな将軍たち」(ガレリア・グラフィカ、東京)。75、79年政治のポップ・アート化を目指し東京都知事選に立候補。94年「秋山祐徳太子の世界展」(池田20世紀美術館、伊東)。その他個展、グループ展多数。ライカ同盟、見世物学会にて活動。
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