行商美術にて
「招福猫名所江戸百景王子装束ゑの木大晦日の狐火」
美濃さんの招き猫を見た人の多くがこれは人面だ、と言う。確かに人の表情にも見える。背景に「大入」と大書されていたり桜や紅葉が舞っていたり花火があがっていたりしても、ただシンプルに「めでたい」という印象を与えるものではない。もっとからだの奥深くに訴えかけてくるような何か。遺伝子レベルの無意識を刺激されると言えばいいだろうか。
三十歳のとき何故か浅草に心惹かれ木馬館に住みついて売店を手伝いながら絵を描いた。わたしにも経験があるがこの「何故か」には本当に目に見える理由などなくて、まるで何かに憑依されて気が違ってしまったかのようになるのだ。浅草や別府といった古い下町の強烈な色合いや風合い、見世物小屋や縁日といったものに宿る日本特有のアンダーグラウンドな情趣と美濃さんのからだとの磁場が見事に合致してしまったのかもしれない。
実は美濃さんの猫は福を招いているのではなく、見る者を異世界へと招いているのではないか。絵の前に立つと暗い底から「おいでおいで」と呼ばれるようだ。招かれるままに踏み入れた場所は決して明るくはないが美しく切ないワンダーランドで、それはわたしが子供の頃に(あるいは父や母の中で染色体だった頃に)過ごした世界のようにも思える。その強烈な懐かしさに泣きそうになるとき、美濃さんもまたいろんなものを失いそれを悼んできた人なのかもしれないと思いを馳せるのだ。
2006.10.23、宇佐神宮に奉納した
「祝額誉田天皇広幡八幡麻呂示現の図」
美濃さんを風の卵に連れてきてくれたのは画家の寺山香さんだ。寺山さんの個展を見にきて、西大分の港町風情と風の卵の古い部屋をいっぺんに気に入ってもらえた。たまたま入った蕎麦屋に飾ってあった招き猫の絵に魅せられ無理を言って譲り受けて以来招き猫が生涯のモチーフとなった話や、師匠の平賀敬さんに言われるまま毎日丹念に畳の目ばかり描いた話もその時に伺った。そのときの御縁が「行商美術」の開催へと繋がったのだ。残念ながらその一年のあいだに西大分周辺は再開発で随分と様変わりしてしまってわたしはひどく胸を痛めていたのだが、行商美術の作品が風の卵に並ぶだけで不思議と楽しい気持ちになった。やはり美濃さんの招き猫が福を招いてくれたのだと思った。
美濃さんは「こね」という名の猫を飼っていて、その猫になみなみならぬ愛情をそそいでいる。今年のはじめに近所の人に悪戯されたこねを庇って川に落ち、右腕の骨を折った。絵描きにとってはおおごとである。回復するまでわたしたちも気が気でならなかった。そんな美濃さんが描く招き猫は写実よりも写実に、わたしには見える。猫の軟体加減やふにゅっと伸ばした手の具合が実に生き生きとしているのだ。これは猫と日々を共にしている人だけが知る猫のかたちだ。